月別: 5月 2013

「くらげになりたい(仮)」に出演して

「庄内キネマ制作委員会」から、5月13日の夜6時までに撮影現場に来いと言う連絡が有った。私が映画「くらげになりたい(仮)」の主役のお兄ちゃんの父親役で、ほんのチョイの間無言で孫を抱いてあやしている場面に出るためである。

このところテレビには出ることが多いが、さすがに映画となると出た記憶がない。さてはてどんな事になるのか気になりながら指定された稲生町の民家に行って見た。

撮影の一場面。赤ちゃんを抱っこしたのはいつぶりだろうか。

撮影の一場面。赤ちゃんを抱っこしたのはいつぶりだろうか。

 

この庄内でも映画が作れる時代になったのである。月山のふもとには「庄内映画村」が有るし、市内には古い製糸工場を改造した「鶴岡まちなかキネマ」が有る。それにもう一つ次世代の映画人を発掘育成する「(株)映画24区」が加わって、世界にこの庄内の魅力を発信して行こうと言う面白い企画が実現した。

委員会では3社が金を出しあって毎年2つの映画を作るとのこと、その3作目にここが舞台として選ばれたと言う事になる。資金を出すと言っても大金持ちが居るわけではない。聞いた時にこれで本当に映画が出来るものだろうかとびっくりした記憶があるがまあ信じられない低額である。

子供のころから映画が好きだった。他に大した娯楽が有るでなし「ターザン」が街に来たと聞けば、羽黒の我が家から8km、歩いて市内の映画館まで来て夢中になって見たし、初めて見た総天然色の映画「小鹿物語」の奇麗な事には感動した記憶がある。

映画と云うものは実に面白いもので夢が有った。子供心に自分とは無縁のどこかの誰かが大掛かりに作っているものだと漠然と思っていた。

あれから65年もたったが身近なところで映画が作れるようになったのだから本当に世の中が大きく変わったのである。

この度の話は去年の今頃に打診が有って、加茂水族館を舞台にした映画を作りたいと、まちなかキネマの小林社長から連絡が有った。嬉しかったがいきなり飛びつくには難しい事情が有った。

その事情とは今、目の前で進んでいる新水族館の建設である。50年に一度の大仕事が去年の10月には着工される運びになっていた。幾ら映画の舞台になるのが嬉しいとは言っても新しい水族館が成功しない事には話にならない。

仕事は山積しているのに人手は不足している。他の用事に職員をまわすのは不可能だった。しかし監督やスタッフに何度か会って話を聞いているうちに、まずは場所を貸すのが仕事と言えば仕事で、職員が役者になる訳でもないあとは殆ど負担はなかった。

分かってみればお断りするような悩みは無くなった。喜んで引き受けさせて頂いた。

5月10日にはまちなかキネマで「くらげになりたい(仮)」の制作発表会が有った。

多くの記者が取材に来てくれた。そしてニュースとして流れて大きな話題になった。人気商売的な面が大きい水族館としては大変ありがたい事だ。

5月の17日からはいよいよ水族館を舞台にして撮影が始まった。私が行った鶴岡市の民家でも、スタッフが一丸となって取り組んでいたしここでも同じだった。あの姿はちょっと他では見ることのできない特別な雰囲気がある。

館長役のあがた森魚さんと、水族館の屋上で。(5月17日撮影)

館長役のあがた森魚さんと、水族館の屋上で。(5月17日撮影)

 

何に例えたらいいのか難しい所だが、私の眼には一番近いのは「フィールドに展開したサッカー選手」たちのように見えた。一人一人が自分の役目を果たしながらボールを追い、一丸となってゴールに向かう「戦う集団」と言う表現が一番近いと思うのだが。

撮影現場でそんな緊張した姿に出会ったように思う。

 

 

みのもんた、朝ズバに出たぞ

5月の8日「8時マタギ」だった。みのもんたさんがこの小さな水族館を取り上げてくれたのだ。「20分で3億円を集めた水族館」というタイトルにあちこち紙が貼ってあって字が隠してあった。

「クラゲドリーム債」と名前が付いた市債が4月18日に売り出されてあっという間に売り切れたことは、「館長人情ばなし」にも書いたがあまりに早い売り切れと、資金調達の対象が老朽化した小さな水族館建設だったと言う面白さが受けて全国的な話題になっていた。

その辺がみのもんたさんの番組でも注目したのであろう。みのさんが貼り紙をはがしながら読み上げてくれた。これまで何度も見慣れた光景だったがまさか自分の所があそこに登場するとは思わなかった。

あれは正にこの小さな水族館の50年の歴史の中でも、とっておきの晴れ姿と言って良いと思う。十数分の放送を見ていた主役の私でさえ何だかジンと来たのだから、日本中の多くの人に強い印象と共に加茂水族館の存在を知らしめることが出来たと思う。

何でもお金に換算するのはどうかと言う気もするが、あの時間をコマーシャルで使ったら、恐らくクラゲドリーム債の3億円どころではない宣伝費がかかるのではないか。

これで又今年の入館者は、そう大きな落ち込みもなく結構順調に来てくれそうな見通しになった。館長にとってはこれが一番有り難い。

放送に戻るが、前置きに説明が有って最初に登場したのは沖縄の美ら海水族館や、鴨川シーワールドだった。いずれも日本を代表するような巨大な水槽を持つとんでもない立派な水族館だ。そのあとに登場したのはクラゲの展示で世界一だとは言っても、みすぼらしさは隠しようのない我が加茂水族館と、少々くたびれが見える73歳になった老館長だった。

一番からビリへ・・・この大きな落差が良い。普通ではありようが無い事が起こったから、みのもんたさんが取り上げてくれたのだろう。ナレーターが語る小さな水族館がたどった苦労の歴史に合わせて映像が流れて行った。

倒産を覚悟した平成9年にクラゲに出会って奇跡的な復活を果たしたのだが、その頃にここを訪れた水族館のプロが加茂水族館にきて「なくても良い水族館だ」と評したことが有った。

これも前に「人情ばなし」に書いたがその本人が登場して感想を述べていた。テレビの中の彼は「館長が立ち直ったから加茂水族館が救われたのだ・・・」と、これには参った。そのものずばりだったからだ。このように加茂水族館を見たのは恐らく彼一人ではないか。私だってそれは感じていたんだ。しかし口に出して云えないでいた。

どん底を迎えたのもすべては私の器量が足りないところから起きた事だった。

いつもながら彼の視線の鋭さには脱帽だ。事業と云うものはそこのトップ以上にはなれないと云う事だ。私があのままクラゲに出会うことなく、世を恨んで暗いままで仕事をしていたらここは立ち直ることは出来なかったであろう。クラゲの展示に一筋の光を見て希望を持ったから次に繋がったのだ。

長く続いた低迷に気持ちを暗く落ち込ませ、理不尽なこの世を恨んで言い訳ばかりしていたあの地獄からまず救われたのは館長の私だった。