月別: 9月 2012

いよいよ10月、新水族館の着工の月が来た

9月も今日が最後だ。今年は真夏の暑さが9月にずれ込んだようにひどい暑さが続いた。暑い暑いと悪態を言いながら過ぎてしまえば早く感じる。そして月末の今日で今月の入館者が何名だったかが決まる。

いい加減館長と自称している私と言えども、経営を預かるという事はいつも売り上げやら、利益やらが気にかかるしがない立場にある。

9月も終わりだなー、いよいよ新水族館の建設が着工されるとぼんやり考えていたら、全く別の場面を思い出したのだから私は根っからの経営者にはなれないのかも知れない。

もう何年過ぎただろう、ある日突然思いついて3日間の休みを取った。あれが9月の28~30日だったのである。何か人様に語るような高尚な思い付きではなかった。

とにかく休みを取ってイワナ釣り三昧をしようと考えその気持ちを抑えきれなかったのである。そのきっかけになったのが「クマ」だった。神奈川県にある油壷水族館の飼育係をしている中井という男をイワナ釣りに案内して山の奥でクマに出会ったのである。

新潟県境に近い所にいい沢が有る。狙いが当たって7~8寸の食い頃サイズがジャンジャン釣れた。奥に行くほどにますます良くなる。川虫を捕る私をしり目に先に行っていた中井さんがなんだか言いながら大急ぎで戻ってきた。「くっくっく・・・」とどもっていた。

「何だでー・・・大きいのに逃げられたかー」というと、「熊が出たクマが出たびっくりして逃げてきた。」「釣っていたら後ろの藪がガサガサ云ったので見たらクマが飛び出してきた。」「もう怖くて釣りは出来ない」と言う。

逃げたクマは何でもないもんだ、大丈夫だからまた釣りをしてくれと言ったが、とても聞き入れてくれる状態ではなかった。

実は20年以上も付き合った相棒を亡くしてイワナ釣りを7年間も止めていたのである。今日も一応竿は背負っていたが釣りはせずに餌の川虫捕りをしていた。「釣り放題の宝の山」に入って途中で止めるて帰るわけには行かなかった。

中井さんが釣りしないなら仕方がない俺がやるか、「んだば俺がやって見っかー。」腕は落ちていなかった。自在に竿を操り枝を広げた沈木の間から大イワナを誘い出して釣った。

奥の滝まで約100mを釣り上がっていいのを20ぐらいも釣った。あっという間で釣りは終わった。ドウドウト落ちる滝を見上げてみれば体にさわやかな血が流れている。俺は釣りを止めれない・・・やりたいんだと悟った。

一度抑えたイワナ釣りへの気持ちも、歯止めが取れてしまえばもう止めようがなかった。むらむらと腹の底からこみ上げるイワナ釣りをしたい・・・という気持ちが噴出して、どこかで3連休を取って釣り三昧の日を過ごそうと思った。

そして鳥海山の懐にある良い景色の渓谷を思い出した。訪れる人とていない隠れ沢ではなくて「2の滝」という結構知られた景勝地である。何であそこが・・・と思われるかもしれないが、あそこの近くにニジマスやヤマメを養殖している施設があって、展示の魚が不足するとよく貰いに行っていた。

その時に1時間ほど渓谷に降りてイワナ釣りをしていたのである。見事な大岩が重なり合って急こう配で釣りあがるのは骨が折れたが、20匹前後のイワナがいつも釣れていたのを思い出したのである。

初日に行くのは2の滝と決め行ってみた。滝の上に神社が有ってその下に踏み跡が有って川に降りられる。しかしイワナって奴は滝の上は嫌うようでしばらくは釣れない。

沢に降りたら7年ぶりに釣りに来た興奮が襲ってきた。仕掛けを取り付ける手が小刻みに震えている。石を起こして川虫を捕る手にやたらと力が入る。小雨が降っていたが夢中になってイワナを釣った。

やがて雨が強くなって頭の上で「ガラガラドンドン」と雷の大音響がしたが気にならなかった。2時間かかって1の滝まで釣りあがってきた。習慣のように数は覚えているが60以上は釣ったろう・・・背中の発泡スチロールの箱にも8寸以上のいいのが20以上は入っている。

全身ずぶ濡れになって納竿した。そして翌日は更に奥の秋田県境に近い女郎沢でまた同じ数を釣った。そして3日目が来たがさすがにもうここまでだった。朝目を覚ましても釣りをしたい気持ちはどこにもなかった。

あれから10年は過ぎただろう。もう口ばかり達者な老人になってしまった。動かないこと山の如しが今の私だ。

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川マスは大根おろしと醤油で喰うべし

毎朝のガラス拭きの仕事も長くなった。入り口は西に面していて天気次第で海風をまともに受ける。潮しぶきが付着すれば簡単には綺麗にならない。そんな日は水をたっぷり吸わせたタオルで流して、又流して3度目辺りでやっと綺麗になる。

70歳を2~3年も過ぎているが、これも運動のつもりでしているので苦になることはない。誰かが気を利かせて先に拭いてしまっていることが有る。そんなときは「誰だ、私を運動不足にして若死にさせようとしている」とからかうと、手を出さなくなる。

健康に気は使う方だと思う。甲斐犬をお供にして毎日約5kmの散歩はしているが上半身を動かすことが無いのだ。これを思いついてもう20年以上になる。今日もいつものように海水魚の水槽を拭いて回った。

8号の水槽に毎日気になる魚がいる。この水槽はたったの10tしかないが水温が下げられていて、1mを超すイシナギや頭がボールのように飛び出したコブダイ、またホッケの群れなどに混じってサクラマスが入っている。これが気になる魚の正体である。

去年の6月だったと思う。18cmほどのヤマメを入れてから日に日に成長して行く姿を眺めては、どこまで成長するのかを楽しみにしてきた。成長のスピードは実に早い。えさを追うのはどの魚も敵わない速さが有る。

あれから1年と半年が過ぎた。産卵期が近づいた今ではオスは桜色に赤く染まり全長60cm、重さは3kgほどになった。

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結露を拭いてガラス面に顔を近づけると、遠い昔が甦ってくるのである。子供のころにガラス箱や、水中メガネでのぞく向こうに銀色に白く光った川マスを見たときの興奮が再現される。だれにも話したことはないがこれが楽しみで毎日ガラスを拭いているようなものだ。

思い出も、もう遠い昔になったが昭和30年ごろの話である。夏休みになれば小学生は皆が近くの川に魚捕りに行って遊んだ。捕れる魚は鰍がほとんどを占めていた。

毎日同じところで鰍を取っているのに減った感じがしなかったので、それだけいたという事だろう。大勢が毎日わいわいがやがやとにぎやかに魚捕りに興じていたが、その中の誰かが1匹でもナマズを捕ればその者がその日のチャンピオンだった。

いわば毎日の魚とりの中で一番の獲物がナマズだったのである。中学になるとガラス箱を持つのを止めて、「ダンコメガネ」と呼んだ水中眼鏡をかけて、淵から淵へと渡り歩きながら潜ってはナマズとハヤの大きいのを取っていた。

マスは狙って捕れるほどはいなかったが、雨で増水した後とか、たまには宝くじにでも当たったように出会うことが有る。1匹でもマスを捕ればうわさが広がって行きまるで英雄にでもなったように子供たちに羨望のまなざしで見られたものだった。

サクラマスは60cm近い大きさが有ったので,ヤスで刺しても押さえつけて捕まえるだけの体力が無いと逃げられてしまう。私も小学5年ごろだったと思うが、垂れた葛のツルの下に隠れていたサクラマスを刺したことが有ったが、あっという間もなくヤスは跳ね飛ばされて逃げられてしまった。

もう62年も昔の事だが悔しかった思いと、桜色に染まったマスのよこ腹が「天然色カラー」で鮮明によみがえってくるから、逃げられたあの日の印象は強いものだったとおもう。

マスの隠れ場所は淵ごとに違っていた。土手に大きな穴が有れば深く潜っていってその中を覗いたし、柳の枝が水中に垂れ下がっていればかきわけて奥を探した。川が大きくカーブしたところには木工沈床で組まれた護岸が有った。

電信柱のような丸太で組んだ間に一抱えもある石を多数並べて詰めて組んだもので、洪水から河岸を守るためのものだった。今なら小型のテトラポットが置かれたりコンクリートで固められてしまう所だろうが、昔は自然にやさしい工法がとられていた。

殆んどの沈床は下の方の石が崩れて洞穴状になって鯉やナマズにウグイの大物など、まるで魚のアパートのようになってごちゃごちゃといた。しかし沈床の下は危険が潜んでいて潜るのに度胸が必要だった。

丸太に出ていた釘にパンツが引っかかって危うく死にそうになったとか噂が有ったし、天井のように組まれている石がいつ何時落ちて来るか分からず、危険な匂いがしたが魚がいると言う魅力には勝てなかった。

あのころ中学の1~2年にはなっていたと思うのだが、目の前に60cmもあるマスが居るとまるで1mもある巨大なキングサーモンのように見えた。手に持つヤスが急に貧弱に思えてこれで刺しても跳ね飛ばされるなー・・・と思ったものである。

鰓ぶたの所を刺して飛び掛かるようにしてマスを押さえつけた。この辺からはもう現実のものではなくなり、夢の中の出来事のような映画を見ているように意識が飛んでしまう。しかしマスがバタバタと暴れる感触が今でも腕に残っている。

はじめてマスを捕った時は嬉しさのあまり橋の上に上がって、マスを持つ手を高く上げて「ますしぇめだー、ますしぇめだー」と舞い踊った。腹の底から湧きあがるあの感動を今の子供たちにもさせてやりたいものだ。

マスが川を遡って来るのは大体田植えが済んで1番除草をする頃だった。農家が忙しい盛りだったが魚とりの好きな者は大きなガラス箱と、腕ほどもある太い木の柄の付いた「マス突きヤス」を持って川に出かけて行った。

学校から帰る頃にぶらぶらと柳の枝に2匹も3匹もマスをぶら下げて帰ってくる大人を時々見ては羨ましかった。

忙しい農作業の合間に捕ってくるマスは、早速焼いて食卓に上がった。食料の乏しかった昭和30年ごろの事だから、海から上がってくるマスは大変なご馳走だった。焼いて熱いうちに醤油をかけてダイコン下しを乗せてかぶりついた。

なぜかマスとヤマメには大根おろしがつきもので、これほどうまい魚は他にあるまいと思って食べた。

今日は9月の17日だ。ここのサクラマスもあとひと月の寿命という所か。密かな楽しみもまた次のヤマメの成長に取ってかわる。まずは健康第一ガラス拭きを続けよう。(写真は岡部夏雄氏より拝借した)

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