月別: 5月 2012

交通渋滞も悪くない

今日(5月4日)は押しかける車が気になって、小雨の降る中離れたところにある駐車場まで3度見に行った。3度目は午後になっていたが水族館につながる道は渋滞を起こしていた。

先頭は水産高校や、水産試験場の建物が有ってよく見えないが、港を越して1kmはつながっているだろう。このところ5月の連休は一日に5千人以上の入館者が有る。こうなると駐車所の少ないここはたちまち一帯が渋滞を起こしてしまう。

車を見ながら胸に去来するのは、「申し訳ないな」との思いの他にもう一つある。わずか10数年前までには倒産の危機にさらされて、訪れる車も少なく我が加茂水族館はさびしい姿だったのである。

その思いが有るから何とかここまで復活して、渋滞する程も多くの車が来てくれたことが兎に角嬉しいのである。出会う近所の人にも「迷惑をかけてすみません」と言いながら、ひとりでに腹の底から笑顔が浮かんでくる。

加 茂は深山幽谷が海に突っ込んだような地形になっている関係上、海岸に開けた土地が全く無い。作ろうにも作れずに不足している駐車場のせいもあるが、この小 さな水族館はせいぜい入っても4千人が良いところである。それ以上入ると身動きがままならず、それこそ館内が大渋滞を起こすことになる。

渋 滞を我慢してやっと受付に来たものの順番待ちが長々と並んでいて待たされ、中に入ってもクラゲの展示にたどり着くのがまた大変。サーいよいよクラゲを見る かと思えば、そこでまた順番待ちになる。クラゲの水槽を目前に順番を待っている行列が、ウミガメの水槽前から外に出て階段を上がってウミネコの餌付け付近 までつながっていた。

時々「何でこんなに入れるのですか、何も見られないじゃないですか」「あなた先に立って案内しなさい」としかられる ことが有る。「ならば貴方は入らなくてもいいのですか」と喉まで出かけるが、ぐっと飲み込んで「イヤーどうも済みません、今日が一年で一番混む日ですか らー、どうもどうも」と言って勘弁してもらう。

それにしても今日の混みようはすごかった。受付で入場券を買う人が長々と繋がって灯台の下の階段まで行ってさらに折れ曲がっていた。こんなことは48年の歴史でもなかったことだ。

館 長の仕事の大半は電話番と相場が決まっている。渋滞に巻き込まれてイライラしている客からの時もある。「この渋滞は何なのですか、水族館に入る車なら何で もっとちゃんと誘導しないのですか」「いや済みません今日と明日は一年中で一番混む日なものですからどうにもなりません」「待たせるなら待たせるでちゃん と何十分かかるのか知らせろ、このばかやろー」

「俺は大山のすし屋だが注文のものを届けに今泉まで行ったら40分かかった」「いつもなら5分で行けるのだ、繁盛しているからといい気になるな」という電話もあった。

唯々謝る他無かったが、こっちだって結構つらいものが有る。ここは市の施設であるのだ、何とか駐車場の工面をしてくれと言いたくもなる。 クラゲの人気もさることながら、タイミングよく4月の7日にギネスブックに「クラゲの展示種類数世界一」が認定された。このニュースが日本中を駆け巡ったから、遠くからも車を飛ばして見に来てくれたのだろう。

小雨の中、受付の順番をじっと待つお客様に申し訳ない気持ちが募る。あと2年で新しい水族館が出来ます、その時にはもっとスムースにお迎えできるようにしますので、今しばらくのご辛抱を・・・。

館長想い出語り 3

物心も付かない子供の頃から親に本を読んで貰って眠りに付いていた。本の題名は皆忘れてしまったが、波乱のヒーローが繰り返し訪れる数々の苦労や強敵を乗り越えて思いを遂げる・・・簡単に言えばそんな物語だった。

記憶に残る物語は内容こそ違え、筋書きは似たり寄ったりで共通している。物語は波乱に満ちるほどいい。相手が大きくて強いほど引き込まれる。どん底は深ければ深いほど乗り越えたときのヒーローが光り輝いてくるし、聞くほうも面白い。

そう思ってここの経営を振り返ると、実はそこらにある私の好きな本よりも、よほど男の血を湧かせるストーリーがこの加茂水族館には有った。

別にそうなりたくてなった訳でもなく、その時々に訪れる周りの状況が自然に造り上げたと言っていい。その全ての歴史の中心に私が居たのだから語る資格はあるということだろう。

取って置きの話を一つ披露することにする。平成7年ごろだと思うが水族館業界をよく知る、いわばこの道のプロがお忍びで尋ねてきたことがあった。その男の目的は「日本中の普段着の水族館」を訪ねて歩いて、あとで紹介する本を書こうというものだった。

この男は特別意地悪でも、私に恨みが有ったわけでもない。実に正直なこの道の知識に長けたいい男である。有名な水族館の副館長という職を捨てて独立し、いまはプロデューサーとして活躍している水族館を知り尽くした専門家である。

彼とは恨んだり恨まれたりしているわけではないので、名前を挙げても別に怒られるという事もないであろう、ということで実名を書くことにする。その人物は中村元といって当時は三重県にある世界有数の施設として知られていた、鳥羽水族館の副館長として勤務していた。

そして各地の水族館を見てくるたびに自分のホームページに、その水族館を紹介する文とランク付けがしてあった。此れに我が加茂水族館も載ったのである。

色々な水族館が紹介されてランクがつけられている。その中に「どこと言って取るところが無い、なくてもいい水族館だ、こんな所にもラッコがいた」と書いてあった。

そしてランクから外れたところに印が付けられていた。余りのみすぼらしさに3段階あったランクの中に入れる事が出来なかったらしい。

水族館のプロ中のプロから「無くても良い」とのお墨付きを戴いてしまったのである

こんな水族館は他にはなかったので、とにかく日本に70ほどあった協会加盟の水族館の中で、最低の評価を受けたことになる。

このことを知って腹が立つ前に、情けないがその様な事は自分でも重々分かっていたことだったから、「いやこの通りどうしようもない水族館だ。あの男うまいこと書いたものだ」と納得した。

「こ うなったのも元はと言えば、遣りたいことはすべて封じて、ここで稼いだ金をみな持っていった本社が悪いのだ、おまけに大きな借金を背負わせて『金返せ、金 返せ』と迫られて、壊れた所も直せずに廃屋のようにみすぼらしくなったまま、無理やり経営させられたそのせいで、こうなったのではないか。」

「俺の家屋敷を担保に保証人にさせて、本社が銀行に多額の借金もしていたし、その上東京の親会社に借金に行けばいつも難癖を付けられて、金額を値切られたり計画変更をさせられたり、ちゃんと仕事をさせてくれなかったじゃ無いか。」

こんな思いがいつも胸の中を渦巻いていた。頭に去来するのは「言い訳、グチ、悪口、悔しさ」で心は真っ暗だった。

此れが「昔流行ったやくざ映画の場面」だったら、此れでもか此れでもかと無理難題に嫌がらせされ、寄ってたかって殴られ蹴飛ばされ、耐えに耐えているヒーロー高倉健さんか、鶴田浩二さんといったところだろ。

いらないと評されたのが平成7年ごろだと思うので、その2年後の平成9年にとうとう入館者が10万人を割って9万人ほどに減り、いよいよ「苦労の経営も此れまでだな」とわたしの口からもついつい洩れていた。

自分で借金を背負っての倒産はただ職を失うだけではない、大きな代償を払わせられることを意味していた。

内から見ても外から見ても、誰しも「加茂水族館の運命は窮まった」と見えただろう。しかしここから反転攻勢に出るという離れ業を成し遂げたのだから、世の中何が幸いするか分からない。

クラゲという得難い生き物に出会うという偶然から、わずかずつでは有ったが入館者が回復しだし、思いがけない応援などの後押しが有って業績は回復した。

ク ラゲという限られた分野ではあったが、あれよあれよという間に日本一、そして世界一の座にと駆け上がり、古賀賞という「業界最高の賞」を受け、入館者もど ん底時の2.4倍に増加した。そしてとうとうオープン当初の賑わいを越えて、45年ぶりに過去最高を記録するまでに回復することが出来た。
これぞ正に浪曲界の天才と評された「広沢虎造のだみ声」が語る「侠客、国定忠治の世界」じゃないか。苦境のヒーローが、憎き悪代官を叩きのめして地域の人たちを苦境から救い、やんやの喝采を浴びる・・・こんなことを髣髴とさせるように思うのだが、如何。