月別: 3月 2014

庄内弁が最高

ついこの間の出来事のように感じるが、思い出してみれば平成17年の5月だったから早いもので9年になろうとしている。遠い昔ではないがこれも思い出の一つとなってしまった。

あれは150億円かけてオープンした大洗水族館で行われた日動水協の総会の場だった。総会には会員がおよそ150名参加してそして毎年必ず総裁であられる秋篠宮さまも出席される最高の場面である。
日本全体の各ブロックから一人ずつ6名が登場して居並ぶ園館長に自分のところの取り組みを発表するという企画だったと思う。

毎回行われていた講演会が多少飽きが来ていたこともあって、たまには変わったことをするもの良いのではないか、それぞれの園館が業績を上げるためにどんな取り組みをしているのか、これを聞くのも大いに参考になるだろうとの思惑から出た企画だった。

一番大所帯だった関東東北ブロックからはどこを出したらいいのか多少の議論があったようだったが、規模が大きくて新しく誰が見ても立派だと思える水族館ではなく、苦労の経営を少し建て直しクラゲで世界一の展示を始めた加茂水族館が面白そうだあそこが良いだろうと私が選ばれた。

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「夕陽を見続けた館長」というタイトルも、秋田市の大森山動物園の小松園長より授けられて、俺でいいのかと思いながらも出かけて行ったという次第だった。
規模も内容も協会で一番小さくおまけに築41年とすっかり古くなったわが加茂水族館はどのように見ても存在感は薄く、居並ぶ150名の園館長の中ではどこに在るのかさえ知らない人が多くいたほどで、1番さえない存在だという事は疑いなかった。

私にだって恥を知る思いが有る。居並ぶ園館長の前に立つにはどうにもやりきれない劣等感があった。老朽、弱小、貧乏水族館が聞く人に強い印象を与えるためにはどんな話がいいのか思い悩んだ末に、私が採ったのはバカバカしいほども浮世離れした語りかけだった。
聞く人が理解不明でもいいから堂々と庄内弁で語りかけること、、恥ずかしいなんて言っていないで波乱の運命を余さず聞かせ、ドン底から這いあがる物語を展開する、それもなるべく聞いて楽しくなる内容をふんだんに盛り込む、出来れば大いに笑わせるという作戦だった。

私の前に語った3人の話はいい内容だったがすごくまじめだった。聞いている150名もあまり盛り上がらず反応はそれほど芳しくなかったように見えた。

存在さえも知られていなかった私の話はどなたも期待していなかったと思う。そこに平成9年にどん底を迎えたこと、日本海に沈む夕日が加茂水族館の運命と重なって見えたこと、背負わされた億を超える借金、また本社の借入のために家屋敷を担保にしたこと。
借入れ金を自分の責任で返済すると念書を書かされた事、倒産を覚悟し16代続いた家屋敷を競売にかけられる窮地に立ったこと、夫婦別れか親子の縁を切るかの瀬戸際まで落ちたこと、などを手短に語った。

それからおもむろにクラゲに出会って奇跡の復活を成して行く過程を語った。しかし坂道を転げ落ちていた歯車は簡単には逆転してくれない。何とかするために使った手段は聞いた相手が呆れて笑い出すほどユーモアに富んだアイデアだった。そのまま語って聞かせた。

 

 

加茂水族館の公用語は庄内弁!

加茂水族館の公用語は庄内弁!

これが大当たりした。私がズーズー弁で「まんずジェニがねえと言うのは困ったもんだ、クラゲの卵を見る顕微鏡も買われねがったんだ」「クラゲ担当からは顕微鏡がねえと卵が見えねがら繁殖させられねーと言ってきたが、ジェニネーナや、ちぶれそうなんだという他ねがった」
「日本一の展示をしたが誰も評価してくれねがった、どもなねがらクラゲしめで来てクラゲを食う会をやったんだ」このあたりからもう会場は笑いの渦に包まれた。

私はうんと真面目な顔をして続けていった。「皆さん笑ってっけんども、わだしはイッショケンメー真面目にしゃべってんです」と言ったらもう爆笑だった。そこに間髪を入れずに「クラゲ入り饅頭、クラゲ入り羊羹」と続けたら、総会という場所も忘れて笑い転げて一気にこの場の関心は私に集まった。

会場を埋めた園館長は沖縄から北海道まで日本中から来ていた。私の庄内弁はどこまで理解できたものか分からなかったが、意表を突いた堂々の発表は、間違いなくハートが破裂するほども揺さぶられたと見えた。
壇を降りて席に戻る私に皆が笑顔を見せて立ち上がり握手を求めてきた。私は「やったようだな」と感じた。無くてもいいと評された小さな水族館が、まずは全国の園館長に強く印象づけてその存在を知らせる事が出来た。

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私の次に登壇した旭山動物園の園長小菅さんが、開口一番に「加茂水族館の村上館長には足元にも及びませんが」と言いながら、旭山動物園は職員が「アイデア集団」だと言う紹介をしていた。

あの小菅さんに評価されたこの言葉がたまらなく嬉しかった。業績では彼の足元にも及ばないが、この日の人気は私に軍配が挙げられたと思っている。

 

 

男にとって勲章とは

タイトルにあるように今日は少し骨っぽい話をしよう。去年の5月だった。秋田県横手市の村岡さんと言う動物病院の方が訪ねて来て、ここの取り組みを自分のところで話してくれないかと頼まれた。本当はこの頃遠出が億劫になっていてまずは県内、遠くても車で2時間圏内に限定して引き受けようと決めていたのだが。

しかし世の中決めたからと言ってそのまま押し通せないことも有る。それが浮世の習いと言うべきかもしれない。この時も先立つこと2か月前に断りきれないような有名人からメールが届いていた。

それは今をときめく旭山動物園の前の園長小菅正夫氏からのメールだった。村岡さんは小菅さんの友人であるらしく頼りにされたのであろう。夏休み公開講座「どうぶつのお医者さん」と言うタイトルで、内容は任せる釣りの話でも鉄砲うちの話でもいいから頼む、、、と書いてあった。

羽黒山の斎館で精進料理を食べる二人。

羽黒山の斎館で精進料理を食べる二人。

 

小菅さんはもう国民的な有名人である。ゴリラが死におおくの困難な出来事が入園者の減少につながり、閉園を覚悟するまでになった所から職員のアイデアを実現させて、年間307万人もの入園者を呼び上野動物園を抜いて日本一繁盛する旭山動物園を築き上げたいい男だった。
彼には一度お願いして鶴岡市で講演して頂いたことがあった。この時の頼みは今でもよく覚えている電話での私のお願いを聞くや「あなたの頼みだったら行くよ、2月は忙しいから私の日程に合わせてくれよ」とこれだけが返事だった。

人様から何か頼まれたら勿体などつけずに「わかった日程が合えば行きます」と答えるのが礼儀だとその時の対応から教えられた。

義理のある方からの頼みと有れば、新しい水族館が建設中であろうが無かろうが「わかった行きましょう」と答える以外に道はない。そして5月に動物病院の村岡さんが訪ねて来てくれたと言うわけである。

そして7月29日小菅さんと二人で1時間半ずつ講演をした。話題の二人が首を並べて講演をするというのはそう簡単にはできないことだ。村岡さんの計らいで実に面白い企画が実現した。

左が館長、右が小菅さん。

左が館長、右が小菅さん。

 

私も興味があったが小菅さんの講演は彼らしい素晴らしいものだった。勝てなくとも絶対に負けない修業をした、、、、と言う北海道大学時に熱中した柔道の話が中心だった。面白かったしさすがだなと思って聞いたが、うーんと考えさせられたのは別の場面での出来事だった、

ここで横手市での話はひとまず横に置くとして、男の勲章とはいったいどんな事を言うのかに移ることにする。長い間気になっていたし自分なりにはやはり実績だろう、大きな納得ゆく業績が男の勲章ではないかと思っていた。

振り返ってそれらしいものを拾い上げればいくつかは見える。昭和47年の年末に倒産して金がまったくない中で春まで生き物を面倒見たこともその一つにあげられるだろう。

大きな借金や上司からの無理難題ともいえるプレッシャーに耐えて無事鶴岡市に経営を引き継いで頂いたことも業績に上げられる。その後の見事な入館者の増加は日本中に認められるまでに広まった。

ノーベル化学賞を受賞された下村修先生を加茂水族館にお迎えできたことや、ギネスにクラゲの展示種数が世界一だと認定されたことだってこの業界では初の快挙だった。

引退がまじかに迫ったこの時に鶴岡市には新しい水族館まで建設して頂いた。幸せ者だなーと思わずには居れなかった。皆業績だと言えば言えるものだと思う。

しかし本当に男の勲章とはこんなに恰好いいものなのか、もっとドロドロとした生臭いものでは無いのか、人知れず影のように目立たないものではないか、そんな思いを抱いていたことも事実である。

話は秋田県横手市での講演に戻るが、小菅さんと立ち話をしているときに彼の口から出たたった一言が、私の考えの甘さを気付かせてくれた。それは「私は2度始末書を書かされた」と言う意外な言葉だった。

国民的な英雄と評される程に大きな実績を上げた男の中の男が、旭山市役所では表彰されるどころか評価されないか大きくはみ出した部分があったという事を意味している。何が始末書に結び付いたのかは聞かないでしまった。

しかし思うに業績を上げようとすればする程に市の制度が大きく立ちはだかったのだろう、彼だって市の職員だったから制度に従うのが務めなのはよく承知していたはずである。

多くの人がそうするように、「分かりました面倒で時間のかかる制度に従って手続きをして、会議を開いてハンコをもらって進めます、、、」と言えば身は安全だが、あれだけの業績を残すことは不可能なはずだ。この辺の事情は今市の一角に居て似たような環境にある私にも良く理解できる。

閉園寸前の、まさに風前の灯だった旭山動物園を生き返らせるためには、利口で言われたことを実行する真面目な男ではだめなのである。不可能を可能にするために彼は体を張って、絶対に負けない仕事を進めたのだろうと想像できる。多くの上司と衝突したり条例や規則を承知で破ったのであろう、「本当の男の勲章とはこの始末書」の事を言うのではないか。

俺はまだまだだなと思い知らされた。

こう言っているが、館長もなかなか常識破りな男である・・・。

こう言っているが、館長もなかなか常識破りな男である・・・。