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羽黒二小の5年生と、ブナの植樹をしてきました


朝から雨が降っていたので中止になるのではないかと心配したが、次第に雨が上がってまずまずの天気になって実行できた、映画村のそばを通って余目牧場に上がってさらに上ると田代谷地と呼ばれる大きなため池に出る。
田代谷地

※ 田代谷地と呼ばれる農業用水のため池、ここに友人と30匹のイワナを放流したのはもう10年以上も前になる、静かな良いところだ。

その手前にブナの植樹の場所が有る、ここはもう私が26~7歳の頃(昭和45年ごろ)すでにブナが皆伐されて赤土がむき出しの荒れ地になっていた、ブルで表土を削り高冷地の野菜などを作る畑にしようとしたようだが、ほとんど作物が作られた形跡もなく放棄されて、ただの広大な荒れ地になっていた。

その一角を羽黒2小で借りてブナを植えるようになった、ここに場所を移してまだ3年ぐらいしか立っていない、そもそもの始まりは平成11年だったと思うが、あの頃ゆとりの時間と言う授業が有って学校ごとにさまざまな取り組みが行われていた。

その一環として私の母校でもある羽黒2小の三浦校長から頼まれて、「身近な自然を語る授業」を2時間だったか3時間だったかしたことが有った、内容は私が育った昭和20年代と今を比べて、2小のそばを流れる「笹川の魚類の変わり様」を紹介するものだった。
DSCN1075

※ 映画村のあたりを流れる笹川上流、この辺一帯は石倉と呼ばれていた、名前の通り月山から押し出すおびただしい石の堆積地になっている、あれは昭和42年の4月だった初めて竿を出した私にイワナ釣りの楽しさを教えてくれた思い出の沢だ。
 改めて調べてみると、自分が小学生だった頃に笹川で捕まえた魚がほとんど見られなくなって、今なお生息しているのはカジカや、アブラハヤなどほんの数種類しかなかった、夏になる前に水田に水が取られて流れてこないのだから仕方がないのだが、今の子供にも「雑魚しめ」の楽しさを味わってもらいたいとの思いを込めて、遠い昔の魚とりの楽しさを語って聞かせた。

最後の授業が終わって三浦校長とお茶を飲みながら雑談をしていた時、「せっかく自然の大切さを語ったのだから、これでおしまいにするのはもったいない、子供たちにこの気持ちを長く持ち続けてもらうには山にブナでも植樹したらどうでしょう」、、、と提案した。

三浦校長は二つ返事で「やりましょう」と応じてくれた、そして私の友人を総動員してブナの苗木を600本準備して場所探しもした、田代谷地のあたりも候補には上がったのだが借りることが出来なかった、さんざん探した挙句に営林署の好意で月山牧場の奥に決めて、翌平成12年から羽黒2小のブナの植樹が始まった。

その後歴代の校長が発展させてくれ、多くの団体が力を貸し、父兄も苦労をいとわず下刈りや場所作りなどに尽力して今に引き継がれている。

羽黒2小のそばを流れる笹川の流域が適地だと思って居たのだが、あの時は今の場所がまだ、「目的外の利用」にあたりブナの植樹には許可が下りなかった、次善の策として月山牧場の奥を選んだのだが、その後40年とか50年とかの拘束が解けて許可が下りることになり3年前に現在地に移ってきた。
ブナ植樹5

※ 白い標柱の右わきにカセットが置いてある、これはクマよけに流す音楽のために持参した、今日の朝すぐ近くの余目牧場でクマが目撃されたとの情報が有った、音楽入りの賑やかな植樹もいいものだ。

 ここはこれ以上ない適地に見える、笹川の流域だしかっては鬱蒼たるブナの原生林が広がっていたところだった、このまま放棄されていれば何年たっても復活することは望めない。

今年植えた5年生は30名だったと聞いた、毎年植えるブナはそれほど広い場所ではないがブナは確実に育っている、まさか子供たちが心を込めて植えた木を、30年後50年後にどこかの誰かが伐採してしまうと言うことは無いであろう。
ブナ植樹4

※ 手前が去年植えたブナで、奥に見えるのがおととしに植えたもの、やはり1年の差が大きく成長に差となって出ている、こうして確実に育っていれば植えるにも励みになる。
ブナ植樹7
※子供たちは植えたブナに名札を付けていた、そしてそれぞれ思いついた名前を付けていた、この子は野球の選手からヒントを得て「ブナ翔平」と言う勇ましい名前を思いついたようだ。
 おそらく子供の夢を皆が大事にして、ブナの林は永久に伐られることなく広がってゆく、いつかこの荒れ地が全てブナの木で覆われる日が来るのが見えるような気がする、植えた子どもが私の年になった時にそれは実現するだろう、、万歳!。

 

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