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不思議な高校生活を書き始めた訳


58年前の「不思議な高校生活」の事を書くきっかけは思いがけない所からだった。業界紙を出していた友人の田井さんから依頼されて「どうぶつえんとすいぞくかん」の古賀賞特集に原稿を書いたことだった。

高根の花だった古賀賞を戴いたのは本当だから、賞にまつわる思いを書いた後半に、破天荒な高校時代の生活が業界で最高の賞につながったのではないかと続けたら、のぞいた人から面白いと言う声が結構多く寄せられた。

それではもう少し思い出してみるかと、今度は「館長人情ばなし」に高校生がやっちゃいけない鉄砲うちの話を書いたらそれがまた多くの興味をひいたらしい。「館長面白い」と言われしばらく続けてみる気になった。

そんな訳で、そもそもの始まりをこの辺で紹介するべきと思い「どうぶつえんとすいぞくかん」から話を持ってきたので見て頂きたい。年を取ると誰しも昔の思い出話をしたくなるものだ。私の思い出が尽きるまでもうしばしお付き合いいただきたい。

 

古賀賞は破れかぶれの末だった

古賀賞は業界で最高の賞だが、受けるものの喜びにそれぞれ違いが有ると思います。通ってきた過程、すなわち敵の弾の下をどれだけくぐって来たかの差が、そのまま喜びの差になるのではと思います。

加茂には何もなくしかも小さく古い施設でした。協会の中で最も賞に遠い存在だったと言えます。オキクラゲの繁殖で申請はしてみたものの自信は持つことが出来ないでいました。

2月末に小宮会長から内示の電話があり、「今年の古賀賞は貴方の所に決まりました」と聞いた時、勝手に体が震えて止まりませんでした。考えるよりも先に体が反応していました。

どんな選考の話が有ったのか分かりませんが、見捨てられたような存在だった加茂を選んでくれた小宮さんはじめ、選考委員の皆様にはいつも感謝しています。

受賞後時間が経過して漏れ伝わってきた話では、選考会で希少な生物の繁殖に寄与したこととは別に、ここで取り組んだ「クラゲを食べること」と経営を組み合わせて、何とかどん底から立て直しに成功したことが大きな話題になったとか。

確かに宣伝のために秋口になると泳いでくる「クラゲを捕まえて食べる会」を開いたことが有りました。スナイロクラゲとエチゼンクラゲを使ってシャブシャブとか、姿作りクラゲ寒天とか、ナタデココ風クラゲココとか馬鹿馬鹿しい事を考えて実行しました。

これが大きな効果を生んで日本中に流れて、加茂のクラゲ展示も広く知られるようになりました。その後クラゲ入り饅頭と羊羹、エチゼンクラゲ定食、クラゲウインナーコーヒーなど次々に売り出しては大きな話題になりました。

クラゲ入り饅頭と羊羹はみのもんたさんが「めくり切り」してくれたり、別の番組ではテリー伊藤さんがクラゲアイスを食べながら旨いとか言ってくれたりで、これが何億もの宣伝効果を生み、お陰様で入館者がどんどん増加していったと言っても良いでしょう。日本中でエチゼンクラゲの出現に大騒ぎをしていたときに加茂では捕まえてきて食べていたのです。

誰も力を貸してくれなかったが知恵を出して入館者を増やし、増えた収入をクラゲの展示拡大にすべてつぎ込みました。そして地べたを這うようにして少しずつ評価を高めていきました。おかげで何とか必要な資金を全て自力でまかなって来れたことを誇りに思っています。

何で私ばかりがこんな馬鹿馬鹿しい事を平気でやれたのだろうと不思議な気がして考えたことが有りました。思い当たる節が無いこともなく、高校時代に不思議な学校生活をすることが出来たことを思い出しました。山形県の山奥に全校生徒が40人足らずの小さい高校が有り、雨がぼたぼた漏るぼろぼろの校舎でした。

入学式の日に校長は不思議な事を云いました。「勉強するな」と言ったのです。此れには前置きが有りました。「大学を受験するための」と。そして高校生に「酒を飲むな、たばこを吸うな、嘘をつくな」と約束をさせました。それ以外に制約らしいものは何もありませんでした。

しかし勉強をしなくていい事には変わりなく、勉強嫌いの私は3年間授業以外に1度も勉強しませんでした。実にのびのびと過ごすことが出来ました。生徒から県立並みの授業料しかとらなかったので、赤貧洗う如しの貧乏学校でした。「明日食べるものが無いどうする。」「その辺から山菜をとってこよう。」「かぼちゃの葉も食えるそうだ。」「サツマイモの葉も旨い」となんでも食べました。魚捕りは名人級の腕だったので、校舎の脇を流れている大きな川から魚をいっぱい捕まえてきて、皆のおかずにしました。

魚捕りの合間に。前列中央、ヤスを持つのが私。

魚捕りの合間に。前列中央、ヤスを持つのが私。

 雪の季節になると3mを超す積雪が有って皆スキーをしたが、私は近くの農家のおやじさんから鉄砲と弾を借りてきて、日曜日になるとウサギやヤマドリ、タヌキやムササビなどを撃って捕まえ食べていました。いつも腹を空かしていたのです。

夏のある日、鉄砲を貸してくれる親父さんからダイナマイトをもらい、深い淵で爆発させて魚捕りをしたことも有りました。夢幻のようなあの3年間がこの小さなどうしようもない水族館に古賀賞をもたらしてくれたのかも知れません。

 

 

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