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旭川市で講演を終えて その1


4月に退職をしたがこれで長い間館長という責任ある立場から解放されて、週に一度の古巣への出勤とたまに頼まれる講演に出かける、、、となると責任とは無縁の実に気楽な身分になれたと思ったものだが。

実際に4月はただ1回東京に講演に出かけただけだった、しかし月を追うごとに依頼が増え続けて留まるところを知らず、お断りしたくなることも多かったが、しかし依頼してくる相手は皆さんが真剣で「何とか,、、何とか、、、」と粘られる。

ついつい相手の身になり「んだばいぐがー」と答えて首が回らなくなる、車を1時間も2時間も運転して会場に向かうが、年を取ると無理をしても我が家に帰ってきて寝ると一番体が休まる、遅い時間に終了して夜中に帰ってくることもしばしばだった、いい年になった我が身の心配をするほど講演依頼が増えたのは誤算といえば誤算だった。
多くの講演をしているうちに生来の「話下手、あがり症」も、場数を踏むたびにいくらか解消されてきた、しかしこの度行ってきた旭川市での講演は私には特別なものだった。
DSCN0395※ やっと来た旭川空港に着陸寸前

旭山動物園といえば、加茂とは同じ日本動物園水族館協会に属する同業者であり、前の園長である小菅さんは閉園寸前の動物園を見事立ち直らせただけではなく、年間307万人もの入園者を呼んで上野動物園を抜いて日本一繁盛させた国民的な英雄として有名だった。
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※ 旭川青年大学事務局の今泉さんを真ん中に。元旭川園長の小菅さんと。

幾ら加茂水族館が成功したと言ってもあの実績には足元にも及ばない、のこのこ出かけて行って自慢げに話すほどの度胸は自分にはなかったのだが、事務局からの依頼のすぐ後に当のご本人小菅さんから直接メールが入った。

そこには「村上さん旭川市の青年大学で講演をしてやってくれないか?」というものだった、この言葉が私の弱気にけりをつけてくれた,以前鶴岡市での講演をお願いした際二つ返事で引き受けてくれたのだ。

小菅さんには借りが有ったし、あの英雄が来てくれと言っている、、、、それが背中を押して、行って加茂水族館の苦労話をしてくる心の口実になったのだ。

彼は実に義理堅い男で、昨年6月にクラゲ水族館としてオープンした際に、仲間を集ってわざわざお祝いに駆けつけてくれた、こっちもうれしかったが何せ猫の手も借りたいほどの忙しさの中で、ほとんど何事も出来ずに失礼してしまった。

この度の講演も「村上館長が渓流釣りが好きだからぜひこちらでもやらせたい、なら6月ごろか9月が良いだろう」と検討してくれたが、日程調整が付かず10月になったと聞いた。

私も一度憧れの北海道で釣りきれないほどのイワナや,オショロコマを釣って見たかったのだが惜しいことをしてしまった、もう一度というチャンスはもうないだろうな、、、、。

空港で私の到着を待っていてくれたのは小菅さんのほかに3人もいた、皆さんが去年6月オープンの祝いに駆けつけてくれた見覚えのある顔だった。
DSCN0416※ 旭川空港には旧知の男たち4人が出迎えてくれた。

退職したとはいっても私のために迎えに来て、今日と明日の二日をつぶすご苦労をいとわず全てのお膳立てをして、私を歓迎してくれたのだ、北海道の男たちがこうなのかたまたまいい男たちと知り合ったのか、とにかく頭が下がる思いだった。

私のために立ててくれた計画は「山の水族館に行こう」というもので、かねがね私も気になっていた施設でぜひ行ってみたかった、おんね湯というところに有る小さな水族館が4年前に建て替えられて、その際に予算不足から窮余の一策で建物の外に池を作り、ガラスを張って中から泳ぐ魚を見よう、、、というアイデアだった。
IMG_9895※ 山の水族館に向かう途中の景勝地で暫しの休憩

この池が冬になれば当然凍りつくことになる、北海道イコール寒さ、、、ここを強調した作戦だった、このアイデアを生み出したとされているのが水族館プロデューサー中村元さんだった。

このアイデアが大きな話題となって年間27万人も押し寄せて大繁盛した、ここに私を案内してくれた。

大きな川沿いに走って峠を超えて2時間とちょっと掛かった、途中に層雲峡という景勝地もあった、道々運転の小菅さんと問わず語りに話したが、彼が旭山動物園の園長に就任したのが閉園寸前の最低の時だったとか。

入園者が20万人ほどでその半分が無料の幼稚園児や小学生だったから実質は10万人ほどだったらしい、風前の灯だった動物園を立て直すために職員を励まし、アイデアを出し合って少しずつ信用を回復させて、市を動かして資金を出してもらい作ったアイデアを実現させていった、、、。

それが大きな話題となって年間307万人も訪れる奇跡と言っていいほどの離れ業を実現させたのだ、その効果がどれだけ旭川市を助けたのかは想像に難くない、爆発的な人気が空港までも拡張させて発着の便を増やし、市内の渋滞は8kmにも及んだとか。
DSCN0415※ 層雲峡の近くの滝で。中国の観光客が多かった。

一人の男の力、、と侮ってはいけない、信念が強ければ無限の可能性があるということだ、一念岩をも貫くと云う諺があるがそれをやったのが小菅正夫という男だった。

旭川市にとって救世主ともいうべき彼が2度、実質3度も始末書を書かされたと聞いてまさかそんな馬鹿なと思ったが、何処のお役所も似たような考えを持つものだと妙に納得させられた。

現場の頑張りはお役所の制度とは相いれないことになる、特に誰が悪いと恨み言を言うつもりは無いが、努力すればするほど対立したのだろう、小菅さんは結果を求めて押し切ったから始末書になったのだと思う、市民のために体を張った結果があまりにも寂しいじゃないか、何ともやりきれない思いで聞いていた。

( つづく )

 

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