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平成9年に有った幻の水族館建設計画

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平成9年というとまず私の頭に浮かぶのは「どん底でクラゲに出会った年」だ。しかしその大きな出来事に隠れたもう一つの書き残しておかなければならないことが有る。

あのころ、ここの長い歴史の中でも最も入館者が少ない時期で、館長である私も倒産という無言の圧力にいつも押しつぶされそうになっていた。築30年を超えていたので入館者の減少はそのせいであり、この難局を乗り切るのは新水族館の建設以外にはないと思っていた。

人口が少なく交通の便もよくはないし、観光客とて少ない庄内地方では何十億掛かるか分からない水族館の建設は、民間の仕事としてはとても採算が取れるとは思えず、鶴岡市にお願いする他無く折に触れては出かけて行き何度となくお願いしていた。

暖簾に腕押しのようなやり取りばかり何年続いたことか、しかしそのような中で実現すると思えた一時期が有り、それが平成8年に検討会が始まり9年にまとめた「水族館改築基本計画」であった。

市の音頭取りで関係する観光課と企画調整課、県、コンサルタントの大建設計、そして民間の施設だった庄内浜加茂水族館からは館長の私と飼育係の奥泉が参加した。

前もって市が1500万円の予算で古くなった加茂水族館を、酒田市の日本メンテによる耐震診断をし、現在の基準には到底及ばず地震の際には危険な状態であると言う結論を出してあった。

その結論に基づいて3つの案が出されそれぞれ真剣な話し合いが続けられた。

1つは今使っている建物を現在の耐震基準に合った強度に補強して使い続ける
2つ目は補強した建物に増築をし魅力アップして使う
3つ目は移転新築する

この時初めて真剣に新しい水族館を建てる検討をした。あの時それまで考えていた様々な提案をした。メインは「鱈場と呼ばれる水深200mの深さの漁場に生息する魚の展示」鱈場の名前を使って庄内浜に水揚げされる魚類を展示することを提案した。

鱈や、イシナギ、ホッケを群泳させたいと考えたのだが、提案しながら思ったのは北の海に生息する魚はいずれも地味な色彩のものばかりであった、思い描くすべての魚が見た目の魅力に欠けている「これではたしてお客様は来てくれるだろうか?」「たぶん大した効果はないだろう」という思いに至る。

ならば飛島には暖流が直接流れていて、時々色とりどりの熱帯性の魚まで現れるそれを入れたら多少は見栄えがするだろうと、苦し紛れに「飛島の大水槽」の案まで出された。もうこうなったら庄内浜の魚類を展示すると言う理念はどこにもなくなる。「どうしようも無いなー」と思ったが3つ目の案に盛り込まれた。

この時は自分が情けなかった。これまで長い間市に働きかけて「水族館を建ててくれ」とお願いしてきたが、いざとなった時にこれと言った自信を持てる提案が出来なかった自分の力のなさに愕然とさせられた。

たとえば何か「これという目玉」を中心に据えた水族館を建てれば、遠くからも多くの方が足を運んでくれるだろうと言う思いが有ったが、その目玉が出てこなかった。そして自信の持てないままに纏められたのが平成9年の「水族館改築基本計画」であった。

このみじめな思いが大きな教訓になった。長く続いた不況の中でも積極的に前に出て、多くの経験を積むべきだと悟った。丁度その年にクラゲと出会うと言う偶然が重なり、毎年拡大に次ぐ拡大をし展示種類数を増やしていった。

自信が持てない提案をしたと言う経験が無かったら、果たして貧乏の極みの中であれほど積極的な考えを持つことが出来ただろうか。そう思うとあの時の経験はタイミングと言いショックの大きさと言い、クラゲで立ち直る前奏曲のように思える。

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